<絵図と地形>
永禄(1558年)の諏訪湖図(図1-2(b))は、白狐島を含む3島を描く。白狐島に接する区域ないし他の2島のいずれかに赤沼村が成立したと思われる。
享保の頃(1700年代前半)に描かれた一村限村地図は、東から北に流下する上川※1とその左岸の家屋群を描く。家数41軒の赤沼村である。
上川の分流※2が福島方面に流れ、その河口にデルタ(福島)を形成した。川筋に沿い自然堤防が形成され、微高地上に畑※3が分布する。
同図上川左岸赤沼集落区域内に「上桑原村分」と表示される飛地※4があることから、赤沼村の下流部では上川の流路変遷(移り変わり)があり、旧河筋とその右岸に在った上桑原村耕地がとり残されたことが分る。旧河筋に微高地が形成され「畑」※5が分布する。
<地質>
柱状図は、旧村部を外れた「田」と表示される区域を代表する。現在の水田耕作土があり、GL-13m付近まで極めて軟弱な腐植土層が続く。この腐植土は、低湿地に生育した「かとぎ」(マコモ)を主体とする植物組織が堆積したものである。下位は、砂と少量の礫を含む砂礫とシルト・粘土の互層となる。砂は、やや緩いから密程度に締っている。上川がもたらした砂礫が、低湿な地域に繰り返し堆積したと想像される。