<絵図と地形>
諏訪湖南東に広がる沖積原のほぼ中央に位置する。
享保年間に描かれた一村限村地図を見ると、東方より上川から分岐した支流※1と南方より宮川から分岐した支流※2が福島集落の方向に流下し、図北西方向の阿原(あはら)※3に流入していることが分る。阿原は、湖や後背低地に接する低湿地域を指し、沼地を好むマコモやヨシが生育する原野・沼地の当時の呼称である。
湖南東の沖積平野を流下する上川と宮川が、当時の低地(阿原)に向け河口を開きデルタ(三角州)を形成しこれが福島となったと推定される。絵図は、集落の四囲に水路を巡らしその内側に土堤道(土塁)を配置させている状態を示す。この地域の垣内集落(かいと・しゅうらく)の代表例とされている。
<地質>
ボーリング柱状図は、旧村部を外れた外側の低湿地で行われた地質調査結果である。軟弱な地表面に砂礫を盛り立て地盤を改良し、砕石とアスファルトを敷設し道路としている。GL-3~8m付近までは、N値3未満の極めて軟弱な土層が分布する。腐植土主体の軟弱地盤である。
旧村部および上川・宮川の河跡には、河川が運搬した砂礫が堆積していると思われる。ここに掲げる柱状図より多くの砂礫層を挟在すると推定する。
戦後の高度経済成長期に、一村限村地図が描く「阿原」の中に福島住宅団地が造成された。地盤沈下と浸水に対応する為、平成に入り下流排水河川の拡幅と掘り下げを進め、諏訪湖への排水をより効率良く行えるよう改修している。