<絵図と地形>
図中央に往来通(鎌倉道)が左から右(南から西)に、図下側に下道通りとこれに並行する武居田川が配置される。図上半分に山体が描かれ、後山峠から中ヶノ沢(中の沢川)が流下し、石橋・砂阿原を経て武居田川に流入する。
往来通下の集落内には、田畑の表記と石小屋道・中道・観音堂・村御蔵が記され、道上の山麓部から山体にかけて龍雲寺林・毘沙門堂・辻山神・ほど沢久保・十王堂・御林・火とぼし山・ほんじり・立野権現・後山峠・板沢峠・北山神・畑が記される。畑は、山体が斜面に深く入り込んでいる。
南から西に山体が連なり稜線を成し、山腹斜面基部から山麓部にかけて生活空間が広がり、低平な平坦部に接する様子が分る。
北真志野村 家数 百六拾弐軒
御城より弐里拾七丁弐拾弐間弐尺 十王堂迄
龍雲寺林中腹に在った毘沙門堂は、この絵図が描かれた後土砂崩れにより現在の往来通り上の墓地脇まで流され、その後さらに下方の中道に移設されている。龍雲寺断層崖基部の小さな突起地形に建立された堂宇が山体の崩壊(小規模崩壊)により下方に流され止まっていたものを、最近になり集落内のさらに安定した道路脇に移転したものである。
北真志野図幅の峠道について記す。
中ヶノ沢(中の沢)を遡る峠道は、現在中峠と呼ばれる。(この北真志野絵図では後山峠と記される。)
中の沢から右に延びる沢筋を詰めた峠に板沢峠と記す。板沢新田の絵図には、無名で峠とのみ記される。この峠越えの道は大道通りと記され、板沢新田を貫き伊那境のこいどう口に連なる。
中の沢から左に延びる沢筋を詰めると本峠に達する。この北真志野図幅に峠名の記載は無い。(後山図幅に北真志野峠と記される。)
諏訪盆地西縁を成す断層崖と崖錐斜面および扇状地が形成する山麓地形面と、盆地床面に形成された沖積平野(平坦部)により構成される集落である。
西山と呼ばれる山地は、盆地側に切り立った急峻な斜面を見せ、崖下に発達する山麓斜面は規模が大きく盆地内に大きく張り出している。
竜雲寺背後の断層崖は、典型的な断層崖であり整った三角末端面と急崖の途中に風穴(カザアナ)と呼ばれている断層亀裂を見せている。断層崖は必ずしも安定しておらず、近世以降も小さな崩壊と土砂崩れを発生させており竜雲寺林基部に在った毘沙門堂が往来道上の墓地付近まで流され、その後現在の中道に移転した事例もある。断層崖の基部を通過する中央自動車道には、様々な抑止・抑制の対策工が施され安定が保たれている。
<地質>
西山の山体は、第四紀塩嶺累層により覆われている。
山麓部の崖錐斜面には、山体から崩積した土砂が堆積する。
崩積斜面と複合した扇状地面には、河川が運搬した砂礫と谷中に発生した土石流が押し出した土石が堆積する。
〔No.1地点〕
No.1地点は、中央道建設時の山体基部の台地面の土質を示す。現在は、西山公園の平坦部となっている台地面の西を中央自動車道が通過している。本城遺跡の台地に連なるこの部位には
約15mの粘性土が堆積しこの粘性土帯に切り通しが設けられ中央道が布設されている。調査地点脇を流下する中沢川は、西側の山体に谷口を開き盆地内に扇状地砂礫を供給している。この調査結果では、扇状地砂礫はGL-15m付近に薄く現われている。
〔No.2地点〕
No.2地点のデータは、H27年に大阪市立大学大島教授により公設市場敷地内で実施された学術ボーリング成果である。
GL~-2.15m 砂礫・シルト混り砂・細砂、人工物を含む盛土層
~-12.80m シルト・腐植土・砂質シルト、N=0~1
~-27.20m 細砂・中砂・砂質シルト・粗砂・粘性土~砂質シルト・砂質シルト・細砂・砂質シルト・シルト質砂・砂質シルト・細砂・砂質シルト・シルト質砂・砂質シルト、N≦10
~-36.95m 腐植土・中砂・腐植土・粗砂・腐植土・砂質シルト・粗砂・砂質シルト・シルト質砂・シルト質砂、N=10~20
~-46.00m 礫混り砂・砂礫・細砂・砂質シルト・粘土混り砂礫・シルト質砂・砂礫・砂質土・粘性土・礫混り砂、N=44・125・15・25・44
沖積平野を流下する宮川が自然堤防を形成し、有賀峠から流下する中沢川の扇状地に接する。この自然堤防と扇状地の高まりの上流側に生じた後背低地内に、低湿性軟弱土層が厚く生成堆積し、そこに中沢川の扇状地砂礫が突入している。
低湿性土層の主体は、マコモ・ヨシ等からなる腐植土であり、そこに自然堤防から溢れた砂、山体から流出する扇状地礫が挟在し互層を成していると考えられる。